京都嵐山 オートクチュール刺繍 リュネビル刺繍

リュネビル刺繍を知る限り語ってみる。

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リュネビル刺繍のチュールとメティエ
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京都嵐山でオートクチュール刺繍、コスチュームジュエリーをデザインしています。 リュネビル刺繍にはまり、52歳にして初めてのフランス超短期留学を体験致しました。それに伴い、初めてのフランス語にも挑戦しています。英語もやり直し。 出来ない理由を探す前に色々な事に挑戦していきます。 そんな生活を綴っていきます。
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チュールとメティエ リュネビル刺繍

リュネビル刺繍に使うメティエとチュール

 

1 リュネビル刺繍とは

 

リュネビル刺繍学校

Conservatoire des broderies de Lunéville 学校から引用しています。

リュネビル刺繍はリュネビルの町から発祥した刺繍の技法です。
リュネビルの街は、パリから東方向へ、TGVで約2時間の所のGran Est(グラン・エスト)地域のMeurthe-et-Moselle(ムルト・エ・モゼル)県にある小さな街です。ドイツ寄りですね。
ナンシーの街より電車で20分くらいです。

オートクチュール刺繍に使用されるクロッシェというかぎ針で刺繍をします。
「 Le Point de Lunéville 」(ポワン・ドゥ・リュネビル)といレースのような仕上がりの刺繍です。

白またはベージュのチュール生地に綿糸のみを使用しチェーンステッチの刺繍です。
無形文化財に指定されており、リュネビル市の重要な歴史的価値のある刺繍でもあります。

2 リュネビル刺繍の歴史

リュネビル刺繍は19世紀初頭から始まったとされています。

1798年にJoséphine de Beauharnais(ジョセフィーヌ ド ボアルネ)が街に立ち寄った時に白い刺繍を見つけパリに持ち帰り流行させたとも言われています。
その白い刺繍のチュール刺繍は1811年には存在したと確認はされているようです。

1865年頃にビーズやパイエットを施したオートクチュール刺繍の作成とともに街としての生産が始まり、アールヌーボーのファッションに取り入れられたりとブームを起こしたようです。

1827年頃にはすでに700人の刺繍職人がいると伝わっているのですが、刺繍をする職人は女性で、多くの女性は工場へ勤めることなく、自宅で刺繍をしていた為に正確にはわかっていません。
流行した当時には2万人近くの職人がいたと言われています。

その後第2次世界大戦の戦争により刺繍社会は終焉を迎え、消滅しました。
1998年に刺繍愛好家のフランソワ・レミーにより、Conservatoire des Broderies de Lunéville (コンサバトリー・デ・ボードリイ・ド・リュネビル)の学校が設立されました。

2003年1月2日学校のあるリュネビル城は火災により焼失しました。
沢山の歴史的財産が無くなったようです。
再建されてから学校も再開しています。

3 リュネビル刺繍 point de Lunéville の画像が中々ネットで見れない理由。

沢山のリュネビル刺繍の画像がネット上には出ています。
ですが、学校でのリュネビル刺繍の画像を検索されてもあまり出てきません。
リュネビル刺繍はフランスの無形文化財!

困ったことに point de Lunéville のその美しい姿をご披露できないのです。

留学中の学校では毎週のレッスンを受講する際に「ネットで出してはいけませんよ」と、契約書に毎回サインしました。

その為に私が日本で学校のカリキュラムの検索をかけても、中々学校のリュネビル刺繍の画像がでてこなかったはずです。
リュネビルで作った刺繍をサイトでお見せしたいのですが、それを禁止されています。

リュネビル刺繍の姿の  point de Lunéville の画像は学校講師の先生の作品くらいしか出てきません。
その他はほとんどがオートクチュール刺繍ですね!

リュネビル刺繍の名前の使用も本来は出来ないとの事でした。

良いのか悪いのか、日本ではクロッシェでの刺繍をリュネビル刺繍として認識していて、リュネビル刺繍の名前でのお教室が多いのですが、それも快くないと先生は仰っていました。
実際に、オートクチュール刺繍であって、リュネビル刺繍ではないですからね。。。
ただ、日本までは遠すぎて管理の手が回らないそうです。

リュネビルの学校でお世話になった限りはこういった事は守らねばなりません。
ただ、クロッシェ針を使う刺繍をリュネビル刺繍という呼び名に認識してしまっている昨今、難しい問題だとは思います。

リュネビルでは刺繍が本当に大切に扱われています。
街の人もリュネビル刺繍を貴重な文化で誇らしいものと思われている方が多く、街でお買い物をしていると、「刺繍学校に行ってるの?!」
と嬉しそうに良くお声をかけてもらいました。
お店の人もですが、道行くおじいちゃんやおばあちゃんが特に声をかけてくれました。
リュネビルでの日本人は珍しいのですが、日本人=刺繍を習いに来ていることが少し知れ渡っているようです。

このポワン・ド・リュネビル刺繍の技術を誰かれに、お伝えできないのが残念です。

日本でのリュネビル刺繍名前の取り扱い方に悩みます。

4 Conservatoire des   broderies  de  Lunéville  のこと

さきほど、

1998年に刺繍愛好家のフランソワ・レミーにより、Conservatoire des Broderies de Lunéville (コンサバトリー・デ・ボードリイ・ド・リュネビル)の学校が設立されました。

と書きました。
詳しくは、Maryvonne François- Remy 先生です。マリボンヌ先生。

別ページでレジデンスのトラブルに巻き込まれた後に教会へ連れて行って絵本をくださった先生です。

実際に合うとフレンドリーで陽気な方です。
学校の創設の説明を読んだりするとすごい方なんだと思います。

現在はオード先生が教鞭をとっていらっしゃいます。
素敵な作品を沢山手掛けられています。

学校はとてもいい意味で緩いです。のんびり一日刺繍が出来る環境です。
リュネビル城の中ですからね!
生徒さんもフランスの職人の資格 CAP(セーアーペー)職業適性能力資格を取る人から、ご近所から趣味で通われる人まで様々です。

ま、私も趣味で日本から通われる人の部類に入りますかね( ^ω^)・・・
もっと若ければ資格取ろうと思うのでしょうが、余生と歳の制限はありますし、、、、
取れるかな???(笑)
配偶者が更に倒れるだろうな~(笑)

フランス語の話せない私はほとんどが身振り手振りでのレッスンでした。
得したのは、メモをしていると、メモ帳に先生が細かく説明を図で書いてくれたこと。

あと、2人の先生が、「楽しい?」と気を使ってくれたことです。
本来、「わからないのにここに来て大丈夫あなた?」なのかもしれませんが、先生を始め、リュネビルの人は本当にいい人ばかりです。
出会った人がたまたまそうでも、親切な人が多いのはありがたい事です。

環境も良いし、リュネビル刺繍を学びたい人にはお勧めの学校です。
きらびやかで華やかなオートクチュール刺繍はされている方がおおいので、正直日本でも習えます。
リュネビルで習う刺繍は、古典的だという事、リュネビルのデザインと技法を学びたい人向けです。
大体10回コースで一通り習えるそうです。(個人差あり)

3か月あればよいのではないでしょうか。
毎回の留学期間が1か月のリミット主婦ですので、何年かけてもコースを修了します!
毎年がフランス旅行みたいなものです?(笑)

先生がおっしゃったのは、「ここで習った事を自分の作品に活かしてみれば?!」。

あ、先生のフランス語は日本人の留学生に訳して頂きました。。。
そう、活かすための基本を学べる所だと私は思います。

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